2011/03/14【東日本大震災】大地震に負けてたまるか(その3)※PCで更新

3/11(金)午後7時台~3/12(土)夜明け前まで

7時ごろに県野球場の駐車場を出て、芸術館を目指したよ。
夜9時半に近づく頃、芸術館に着く・・・・・・どころか、人がずらっと並んでるのを見た場所は、芸術館の少し手前にあるセブンイレブンだった。

セブンイレブンの駐車場が、1台分だけ空いてた。
「チャンス!」って思って、車を停めてしば一人、外へ出る。
側面のガラスが割れて店内がむき出しになった部分を会計場にして、芸術館手前のセブンイレブンが、漆黒の闇の中、在庫品の決死の営業をしてた。

結局、「芸術館での食糧配給」のツイッターのつぶやきは、事実だったけど終了したのか、ガセだったのかはよくわからん。だけど、芸術館手前のセブンイレブンが奇跡的に営業してんで、「ま、いっか」って気持ちで列に並び、1時間ちょっと過ぎた頃に、おにぎりとペットボトル飲料を買い占めた。
震災後に店で手に入れる事ができた、おそらく、最後のおにぎり。

食料を買って帰る車の中のラジオで、「水戸市、避難指示」とのニュースが流れた。

Now is the time…

「しばんちの家庭は、一度思いっきり壊れないと子どもが未来に向けて夢を描けるように再生できない」とは、少しずつ感じてた(クリニックでの学習会を通して感じるようになったのだが)。
そして、もしや、今回の被災が、家族にとって「地を固める雨」になるだろうか???

ラジオからの避難指示後の行動で、これからのしば家の「家族の色」が決まるのかな??・・・て直感した。

娘2の「家の布団で寝たいよぉ」の一言が、引き金になった。
母は、家で寝る事を選択した。
「水もいくらか汲み置いたし、ごはんも少しは炊いた。1食2食作れるくらいの備蓄はあるし、もう今日昼くらいの揺れは来ないよ。それより、片付け、片付け」
—と、この非常事態に不自然に張り切っていた。

だけど、しばは、別の事を想った。
「家も大事だけど、まずは、食料を確実にゲットして生き延びることのほうが大事じゃないか?いつまた余震や新たな地震が来た時、より大勢でいたほうが判断を誤らないような気がするぞ」

それでも、家で寝る派の母筆頭に、娘2、息子は帰宅。念のため1階に寝た。
夫は、かなり遅く帰宅したようで、家の前の生垣の横に車を停めて車中泊したようだ。

そしてしばと娘1は、避難所を探し回った。
娘2の通う小学校は、始め、指定避難場所でありながら、どこも開放されていなかった。なので、他の公民館を見て回った。
茨城放送(ラジオ)でも、避難指示を放送しておきながら、聴けども聴けどもどこに避難したらいいかの具体的施設名を放送しない。
明かりがついてた公民館をチェックして、空きを調べた。
2件くらいは開放してくれてたが、横になれる感じではなかった。
フライング(市役所公式よりも先に、という意味)覚悟で、開いている公民館の様子をツイートした。
自家発電機有りとか、貸し毛布有りとか、混み具合など・・・
ラジオで聞いたことを元に、英語でツイートしたりもした。

結局・・・

娘1と私は指定避難場所に避難を選択した。
はじめは、私が車中泊にして、娘1を避難所で休ませた。
翌日明け方4時台に長野で震度6強の地震が発生、避難所に再度緊急地震速報の携帯アラートが鳴り響いた。
娘1、緊急地震速報で目を覚ましてしまい、以来、避難所で過ごしたがらなくなった。

 

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